『ギャグほどすてきな商売はない!!』より

最愛のかーちゃんを病気で亡くした翌年(1971年)、赤塚センセイは失意のもとニューヨークへと旅立った。パロディ雑誌『MAD』編集部を訪ねるという目的はあったものの鋭気を養うための約2ヶ月間の長期休暇。すでに『少年サンデー』に連載が決まっていた「レッツラ・ゴン」のタイトルを滞在先から送ったというのは有名な話。